マツダは2000年代初頭、1990年代のバブル経済崩壊の後遺症で存続の危機に直面し、フォード傘下で開発受託して生き延びていました。来るべき極めて難度の高い燃費規制に対応しなければならないのに、パワートレインの新技術を開発するべき部門には大手の30分の1程度しか技術者が配置されていないという過酷な現実に対応せねばなりませんでした。課題は山積していてもよく見れば各々の課題は絶対つながっているのでボーリングのように一番ピンにぶつければすべて転がるというような主要課題を見つけてそこへ集中することで多くの課題に対応してきましたのでその考え方を適用事例を交えて説明します。